ギルクラ スロット 歌 art

ギルクラ スロット 歌 art

ドールはこの一週間ほどベルンハルト・フリードリヒ・アウグスト・フォン・デア・クネゼベック大佐の旅団から派遣される比較的少数の守備隊によって護られていましたが、グレーからドール間40キロを実数5,000名以下で守らねばならないクネゼベック大佐は、更にソーヌ河畔のオーソンヌ要塞からの脅威にも備えなければならないため苦慮していたのです(要塞からは隙あらばと強力な遊撃隊がドール周辺に出没していました)

 Ba師団はこの日、砲兵と騎兵によって増強された歩兵2個大隊をドール地方に向けて出立させました

※1月31日・Ba師団からドール方面に派出された二支隊*オルシャン(ドールの東北東13.7キロ)にて集合・宿営後2月1日オーソンヌに向けて行軍◇ブライプトロイ少佐隊○Ba擲弾兵第2「プロシア王」連隊・第1大隊○Ba竜騎兵第3「カール親王」連隊・第1中隊○Ba野砲兵連隊・軽砲第3中隊*レナン(ドールの北7キロ)に至り駐屯◇フォン・フォーゲル少佐隊○Ba擲弾兵第1「親衛」連隊・F大隊○Ba竜騎兵第3連隊・第2中隊○Ba野砲兵連隊・重砲第4中隊 この独軍増援と共にドールの兵站地司令からオーソンヌ要塞に向けて「休戦の情報は諸官の勘違いにつき対敵行動を再開する」との通告が発せられると、ドール周辺に跋扈していた仏軍はオーソンヌ要塞司令の命令で要塞へ引き籠もったのでした

暴風の雪道を行く仏軍 31日早朝

ヴィルヌーヴ=ダモン在のマントイフェル将軍の下に再び仏軍軍使が現れ、今度はボルドー派遣部のフレシネが発した休戦協定発効についての訓令電報を示し、敵対行為を直ちに中止するよう請いますが、これも門前払いに近い状態で追い返されます

あなたも好きかも:globe 009 パチンコ
すると午前9時、今度は白旗を掲げた一団が到着し、一行の長となっていたヴァレーニュ大佐(第20軍団参謀長でクランシャン将軍の東部軍司令官就任により軍参謀長代理となっていました)がマントイフェル将軍の代理として対面した南軍参謀長の伯爵ヘルマン・ルートヴィヒ・フォン・ヴァルテンスレーベン大佐に対し「双方の休戦に関する見解が異なっているため、これを両中央政府に知らせて采配を仰ぐ」ことを提案し「その回答が来る時間を得るため36時間の地域限定臨時休戦を願いたい」と申し入れたのでした

あなたも好きかも:ハーデス 新台 パチンコ 評価
するとヴァルテンスレーベン大佐は「我が軍においては事態を明瞭に理解しているところであり、一点の疑問も存在しないのでその要求は呑めない」と拒否するのです

あなたも好きかも:打ち子とは
なおも縋るように懇願するヴァレーニュ大佐に対し、ヴァルテンスレーベン大佐は「本件をベルサイユに通告し休戦の可否について紹介することを許可」しますが「大本営からの回答が到着するまで我が南軍は攻勢の手を緩めることはない」と臨時休戦は拒否しました

 このベルサイユへの「休戦が有るか否か」の質問電信は「安全なボルドーへの電信線を使用し、ボルドー経由の暗号電信によって送達されたい」とのヴァレーニュ大佐の懇願により、仏軍通信線で先ずはボルドーへ発信されることとなりましたが、この暗号電文にはマントイフェル将軍の命令によって「2月1日を以て独南軍はポンタルリエを攻撃する」(ので至急回答を求む、ということでしょう)との一行が加えられたのでした

 こうした仏軍の動きにも迷いが無いマントイフェル将軍は午後4時、翌日の「ポンタルリエ総攻撃」のための命令を諸隊に発します

 この命令では、それまでの命令通り第7軍団はサン=ゴルゴン~ルヴィエ間・即ちポンタルリエへ通じる2本の主街道の間に、第2軍団はフレーヌ~ポンタルリエ主街道の両側に、それぞれ集中して展開し、両軍団はそれぞれ予備を編成・用意した後の正午、ポンタルリエに対する総攻撃を開始することとされました

また、リーベ中佐が率いてポンタルリエ南西方サン・ポワン湖付近にある支隊は一時第2軍団の指揮下となってポンタルリエ攻撃に加わるよう、フォン・デア・ゴルツ将軍の兵団は攻撃開始時間の正午にルヴィエの東郊まで進出・集合して攻撃の総予備として待機するよう、フォン・シュメーリング将軍の予備第4師団もポンタルリエ方向へ前進するよう、それぞれ命じられます

 マントイフェル将軍は命令の終わりに「この会戦においては特に諸隊組織を越えた相互の援助が特に必要となる」ことと「砲兵を有効活用して攻勢を取るよう」強調するのでした

 一方、仏東部軍のクランシャン将軍は「ジュラ山中にある東部軍も休戦協定の範囲にある」と信じて1月30日に麾下諸隊の行動を中止させ、現在地で動かぬよう命じます

ただ独軍が進み来るオルナン~ポンタルリエ間の諸街道(現・国道D67号線やD6号線)沿いに使用可能な騎兵諸隊を展開させるよう命じてもいました

これは休戦協定線の確定時、ブザンソンとの連絡が途切れないよう、今のところ独軍が攻略せず後に残したオルナンとの連絡を保持するためでした

 30日時点でソンバクール、シャッフォワ、ドンピエール、フラーヌと重要拠点を失った仏軍は、休戦成立を信じたがため戦意を喪失し、多くが投降しドリジョン川の右岸へ引き下がって集合します

更に休戦後も南仏との連絡路を失わぬための山道警戒としてボヌヴォーとヴォー(=エ=シャントグル)に守備隊を置き、その南では師団長に追従するためクレメー師団がムートを目標に南下していたのです